本日営業よりアップします。午前中は新築物件の決済=お引渡しがありました。ローンが実行され、買主は代金を支払い、売主から鍵を受け取り、司法書士は登記に走る。こうして買主は正式に物件の所有者に成ります。私にも経験がありますが、鍵を受け取って、はいこれからはあなたの家ですよご自由にと言われても、手に入れた自由の使い道に手をこまねくようなところがあり、所有権というものが俄かには実感できなかったものです。きっときょうのお客様もそんな過渡期の意識を数日は引きずるのではないでしょうか。
さてところで、先の休日に部屋を片付けていると、なつかしいMDプレーヤーが出てきました。聴くだけでなく、録音もできる優れものです。残念ながらiPodやiPhoneの登場によって、押し入れに葬られる運命となってしまいました。

MDプレーヤーの最盛期は西暦2000年の前後ですから、若者世代にはピンとこない製品かもしれません。しかもほとんど日本だけで盛り上がっていたというガラパゴス製品でもあり、MDを見るたびになにかしら哀切の情が湧いてくるのは私だけではないはず。レコードの時代からネット配信の時代への移り変わりの中で、今から見れば、CDとともにMDはその過渡期を彩った花に過ぎなかった・・・
それはともかく、見るとディスクが入ったままになっているではありませんか。コンセントをつなぎ恐る恐るPLAYボタンを押すと、なんと、尾崎豊の曲が流れ始めました。20年前自分は尾崎豊を聞いていたのですね。そしてそのまま箱の中にしまっていたのです。その日一日私は尾崎豊の曲を聴き続けました。大人や社会への反抗を歌った尾崎豊というシンガーそのものが人生の過渡期を表現したアーティストだったのですね。もちろん「今を生きる」人間が、自分のことを「過渡期のオレ」と自覚することはないわけで、そんなことを分かっていたら、あのような曲は書けなかったにちがいありません。
さてさて、ハロウィーンが過ぎると、街はクリスマス一色に様変わりです。小さな子供がいる家庭では、この冬も「サンタクロース問題」が再燃することでしょう。わが家の娘は最近、サンタクロースを疑いはじめています。学校で聞きかじったのでしょうか。「サンタさんはパパなの?」と聞いてきました。お、来たかと思いましたが、どう答えるべきか用意がなかったのと、へんなウソはつきたくなかったので、彼女の目をじっと見すえて、ゆっくり首を縦に振ってみました。「やっぱりそうなんだ」と娘は返しただけでした。ショックを受けているようではないところにすこし違和感がありました。実は娘は妻に向かって言っていたそうです。「パパは夜ずっと寝てるのに、みんなの家にプレゼントはこぶ時間ないとおもう」 そう来たかあ。娘も過渡期を生きてるんだな。

























