本日、営業よりアップします。
オリンピックが始まりました。私はせいぜいダイジェストで見る程度ですが、日本人の活躍には感動させられます。
少し前まで、オリンピック選手といえば「日の丸を背負う」という言葉がぴったりの存在でした。
インタビューでも、「国のために」「期待に応えたい」「責任を感じている」という言葉が並び、どこか悲壮感すら漂っていたように覚えています。
けれど最近は、雰囲気がずいぶん変わってきました。
「楽しんできます」
「自分らしいプレーをしたい」
「ここに立てていることがうれしい」
そんな言葉を自然体で口にする選手が増えました。
国を背負うというよりも、自分の人生をかけて競技を楽しんでいる。勝負を楽しみ、その瞬間を味わっている。そんな印象です。
「オリンピックを楽しみたい」ということばは今でこそ普通に発せられ、好意的に受け止められていますが、私はこの言葉を聞くといつもちょっと危なっかしさを感じてしまいます。あくまで私の記憶でしかありませんが、「オリンピックを楽しみたい」と最初に言ったのはアトランタ五輪の競泳代表千葉すずだったと思います。試合前の記者会見でこう言ってのけた時、自分は心の中で快哉を叫んだものです。だって、「オリンピックを楽しむ」というのは代表選考から漏れた多くの選手たちに対してすごく「不謹慎」に聞こえうるからです。しかしオリンピックに挑む緊張と興奮を自分の言葉でそのように表現した千葉すずはちょっと生意気だったけれど、爽やかでした。こんな風に表現できる選手が出てきたんだと私は感心したものです。しかしアトランタで競泳陣はメダルのひとつも獲得できませんでした。その責任を問う声が上がる中で、彼女がテレビ番組でこう言ってしまいます。「そんなにメダルメダル言うんだったら、自分で泳いでみればいいんですよ」これでひどくバッシングを受けることになります。「オリンピックを楽しみたい」という過去の言葉まで問題視され・・・。
観客は時に酷いもので、オリンピックに感動を求めるあまり、その流れに乗せてくれなかった選手に対してはとても冷たい。「オリンピックを楽しみたい」ということばは、メダルと感動を求める風潮への反抗心から発することもできれば、それこそ自己のメンタルをコントロールするために発することもできる。
ま、ともあれ、最近のアスリートは自己分析と自己表現がとてもうまいなと思います。自分の体とこころに日々向かい合っている証拠なんでしょうね。
オリンピックは始まったばかり。よき観客でいたいと思います。











