成田山新勝寺へ5月のお参りに行ってきました。
以前ブログでもUPしましたが弊社は正五九参りを続けています。
年3回のお参りするわけですが、お正月以外は閑散としています。
1月=物事の始まり
5月=物事が最も盛んなとき
9月=物事が実を結ぶとき
さすがにお正月は堂内までは上がりません。
その分、5月と9月は堂内でお不動さまの御真言を唱和します。
目の前で「御護摩の炎」を見ると身が引き締まります。
それにしても正月の人手にはおどろかされます。
成田山新勝寺へ5月のお参りに行ってきました。
以前ブログでもUPしましたが弊社は正五九参りを続けています。
年3回のお参りするわけですが、お正月以外は閑散としています。
1月=物事の始まり
5月=物事が最も盛んなとき
9月=物事が実を結ぶとき
さすがにお正月は堂内までは上がりません。
その分、5月と9月は堂内でお不動さまの御真言を唱和します。
目の前で「御護摩の炎」を見ると身が引き締まります。
それにしても正月の人手にはおどろかされます。
本日営業よりアップします。
決済のために大宮の銀行まで行ってきました。
決済といえば、振込の着金確認までに何かと時間がかかるというイメージがあります。本日も覚悟して臨みました。ところが信じられないほど早く振込金額の着金確認が取れ、驚いてしまいました。インターネットバンキングのご時世です。現金引出しの方が時間がかかるなんて初めての経験でした。良い方向への変化だと思いました。
変化ということでは、買主からの委任を受けた司法書士の先生が、買主に「生年月日」と「メールアドレス」をたずねるというのもこれまでにない光景でした。
これは本年4月21日から施行された「検索用情報の申出」というものです。所有権の登記名義人となる人が「氏名」「氏名の振り仮名」「住所」「生年月日」「メールアドレス」などの情報を申し出ることが原則必要になりました。
令和8年4月1日から、不動産の所有者は、住所や氏名・名称の変更日から2年以内に変更登記をすることが義務付けられましたが、「検索用情報の申出」をすれば、その後は法務局が職権で住所等変更登記をすることになり、住所等の変更があるたびに自分で登記申請をしなくても義務違反に問われないという制度です。
登記名義人が結婚などで姓が変わった → にもかかわらず変更登記を行わずにいた →住基ネット(住民票情報)に定期的に照会している法務局がそれに気づく → 職権で変更登記することについて登記名義人にメールで意思確認する → 了解が得られれば職権で変更登記を行う という流れです。(メールで意思確認することで、最新住所を明かしたくないDV被害者にも配慮されています)
これにより、国民の負担軽減になるだけでなく、所有者不明土地問題を未然に防ぐことも期待できます。
これも良い変化だと思います。
本日、営業よりアップします。
先祖代々同じ土地に住み続ける人がいる一方で、何らかの理由で故郷を離れることになる人もいます。理由はさまざまで、希望を胸に新天地を探す人もいれば、「石を持て追わるるがごとく」故郷を離れる人もいます。移り住んだ先が「終の住処」となることも多かったでしょう。
私の母方のおじのひとりはもともと東京に住んでいましたが、出張でたまたま訪れた九州の土地柄に惚れ込み、定年退職後は宮崎県に移住しました。
妻の友人のひとりは、子どもふたりの自立を待って埼玉から長野に移り住む計画だといいます。
このように老後を見据えて「終の住処」を模索する人は少なくありません。自分の意思で住みたい場所に移住できることじたいが「自由」と「豊かさ」の証です。
「終の住処」ということばは、最近は、自宅で死ぬか、老人ホームやサ高住で死ぬか、という形で語られることが多いですが、元々は、生涯を終えるまで住む家や土地のことを指していたはずです。山里に四畳半ほどの庵(いおり)を結びそこを終の住処とした鴨長明の時代に(鎌倉時代)老人ホームで死ぬという選択肢はなかったわけですから。
私にもどこかに「終の住処」をさがしたいという欲望があります。
ところで秋田の親戚より新鮮な山菜が送られてきました。
↓こごみ
↓たらのめ
そして
↓こしあぶら
すべて天ぷらにしていただきました。
こしあぶらを食べたのははじめてでしたが、おいしくてびっくりしました。「山菜の女王」と呼ばれているそうです。
こんな見事な山菜が「裏の山で採れ」る秋田県、これはもう、「終の住処」候補のひとつにエントリー確定です。
本日営業よりアップします。
タカラスタンダードのCMは、2019年から土屋太鳳がメインキャラクターを務めていますが、最近、宮崎美子が登場して私の中で話題になっています。ショールームを訪れてリフォームに挑戦するというストーリーです。1958年生まれの宮崎美子はハツラツとしていて、私は思わず、「今もあなたはピカピカに光って」と言いたくなります。何歳になっても私の中では1980年のミノルタのCMが脳内で再生されます。宮崎美子と言えばミノルタの世代です。その年はジョンレノンが凶弾に斃れた年で、特に記憶に鮮やかな年です。個人的な話で恐縮ですが、この年にもうひとつ心を射抜かれたCMがあります。薬師丸ひろ子のテクニクスのCMです。きっと共感してくれる方もいらっしゃるでしょう。
さて本日は、東越谷9丁目の養生はがしを行いました。建築中は床などにキズがつかないように、養生ボードなどを敷きます。階段などはこうなります。
内部の工事が一段落したところで養生をはがします。その後、クリーニングにかけ、お客様の内覧に備えることになります。電気工事や水道工事、さらに外構工事などがまだ残っていますが、完成に向けて一歩一歩近づいています。もうしばらくお待ちください。