こんにちは。わたしは、ある家のドアについている蝶番です。
そう、あのドアを毎日せっせと支えている、あの小さな金具です。

職人さんはわたしのことを「ちょうばん」と呼んでくれますが、わたし的には「ちょうつがい」とよばれた方がちょっとうれしいです。ちなみに「丁番」より「蝶番」と書いてもらった方がうれしいです。バタフライです。こんな素敵な名前の建材ほかにありませんから。
最近、建材の世界では「見えない蝶番」というのが流行っているそうですね。先日、P社の新作展示会でも外から蝶番が見えないタイプのドアが展示されていました。L社からも出ています。時代は“すっきり”を望んでいるんでしょうか。凹凸が少なく、線は細く、面はフラットに。なるほど、それはそれで美しい。「隠し蝶番」とか「ノイズレス蝶番」っていうそうです。
でも、ノイズレス・・・・って。わたしたちは、ノイズだったんですか?
人の目につかないようにドア枠の中に埋め込まれてしまう私たち・・・悲しいです。

少しだけ言わせてください。
わたしたちは、目立とうとしてここにいるわけではないんです。
ただ、ドアが静かに開き、きちんと閉まり、何十年もその家族の出入りを見守れるように、黙って踏ん張っているだけなんです。
朝、少し寝ぼけた手で押されても
夜、子どもが勢いよく閉めても
ときには、湿気で重くなったドアをじっと支えながら・・・
「ギィ」と鳴いてしまうこともあります。あれは愚痴じゃありません。
「そろそろ油をさしてくれてもいいんだよ」という、小さな合図です。
確かに、見えない方が空間は整うかもしれません。
けれど、見えているからこそ、「あ、ここで支えているんだ」と気づいてもらえることもあったのです。
梁があり、柱があり、ビスがあり、そして蝶番がある。
家というのは、そういう“名もなき働き者”の集まりです。
誰も気に留めないけれど、誰かがいなければ成り立たない。
わたしたちは、ドアの端っこで、いつも片腕を伸ばして立っています。
ドアと枠をつなぐ、小さな関節のような存在です。
見えなくなるのは、少しさみしい。
けれど、見えていようが、隠れていようが、役目は変わりません。
わたしたちがいなければドアは開かないのです。
蝶番は不滅です!

今日もまた、誰かが帰ってくるたびに、
わたしは静かに回転します。
それが、わたしの誇りです。
時々、思い出して、シリコンスプレーかけてください。











